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- 2020.06.23 Tuesday
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今日、病院ボランティア活動に行く電車のなかで
「がん家族セラピスト」なるものが存在すると知った瞬間、それだけで救われました。
がんの知識を持たない私たち家族は 母を助けてあげたいと、抗がん剤に飛びつきました。
家族も賛成をしたものの、そのあとが大変でした。
医師が不機嫌な顔を隠そうともせず、「もう、ほかに方法はないんですよ。 それでもいいんですかね?」という風に言ってくるからです。医師は告知の責任を果たしたまでで、悪気はなかったのかもしれません。
でも、家族にしてみたら脅されたような気持になり、とても傷つきました。
いろいろ試行錯誤し、ようやく抗がん剤をやめることができました。
振り返ってみると なんだかおかしな話ですが、あの頃は、素人が抗がん剤を断るなんて、
「恐れ多い」「クレーマーとかモンスターと思われるんじゃないだろうか」と思っていました。
いっぽうで、「いやいや、やっぱり母の気持ちを尊重したいから間違っていない」と思ったり、
「そもそも、よくも知りもしない抗がん剤に飛びついた自分たちが悪い。母にかわいそうなことをしてしまった」
など、さまざまな思いが交差し、へとへとでした。
人の命には限りがありますから、いつかは母もあの世へ旅立ちます。
でも、家族で抗がん剤での治療方針について真剣に考え、母を支えた期間があり、
母もそれを喜んでくれている事実が、将来母を見送った後、当面は悲しくても悔いが少なくて済む気がしています。
最後に
私たちは母の治療についていろいろ調べる中で、
日本は欧米に比べて、がん患者や、その家族が何かとやりにくい環境にあると感じました。
だからこそ、「がん家族セラピスト」の存在に大きな関心をもったのです。
私も、父が癌を患ったとき 一番信頼しなくてはいけない医師の言葉に「動揺」「不安」を抱くことがあり
何を信用していけばいいんだろうと悩むことがありました。
看病で直面することは治療の現実や言葉に振り回されることで、心がへとへとになってしまいます。
そのうち、自分たちの無力さに思考が渦巻いてしまい
何もかもが上手くいかなくなります。
でも、看病をしていたある日 ふと気づいたのですが
病院は敵ばかりじゃないかもしれない。
寝ずの看病をしている私の体調を心から心配をしてくれた看護師さんや
何度も説明を聞きに来る私に、最初はうんざり顔だった医師も、次第に医師のほうから声をかけてくださるようになったり、
同室の方と励まし合えたりと、
さまざまな 協力をしてくれようと手を差し出してくれている人たちがいるんじゃないかと気づいたんです。
今思うと、その方々のおかげで
最高の治療とはいえませんが、私たち家族が父にやってあげられる最高のことは出来たんじゃないかと思います。
私たちが願ったのは、父が生きている時間を 人として生きさせてあげたいということでした。
春には病室から桜を一緒に見て、時には車いすで屋上に行き 空を眺めながら父の故郷の話をしました。
辛い病状の間に、そんな普通の時を過ごせたことで
父が亡くなった後も、後悔が少なかったのかも知れません。
ただ、協力をしようと手を差し出してくれている人に気づくためには
家族の気持ちに 少しの余裕がないとだめなんです。
だから、私は「がん家族セラピスト」として、看病をしている人に寄り添い
心の窓を少し開けて 新鮮な空気を入れる役割を担おうとしています。
そうすれば、家族が悩んでいる治療方針や過ごし方などは
自然なかたちで決断をできるようになっています。
「がん家族セラピスト」なるものが存在すると知った瞬間、それだけで救われました。
こう綴ってくださったSさんの言葉が、近い将来では 当たり前の世の中になるよう
もっと頑張ります。
そして、Sさんのお母様と ご家族が
苦難より 幸せな時を多く過ごせますよう心から祈っています。
がん家族セラピスト 酒井たえこ