これね、以前わたしが仕事にしていた湯灌師という言葉をかけてみたんです。
それと最近ネット漫画などでもよく見かけるようになった、特殊清掃員についても意味を含めています。
さて本題です。
数週間前、近所のおじいさんが孤独死で発見され警察沙汰になったのです。
近所の方の話では1ヶ月前に亡くなっていたようだと。
そのおじいさんは、わたしと同じマンションで同じ階に住んでいたので生前はエレベーターなどで顔をみかけて立ち話をすることもあったのです。
でもここ2,3年前からお酒をのんでは会う人会う人にくだをまくようになり、徐々に近所からは嫌われ者になっていき、わたしもお酒のいきおいで怒鳴られたことをきっかけに嫌いになっていました。
だから当然、近所の方は避けるようになったし、わたしもエレベーターで会っても話すことなく無言でいるようになっていました。
そんなある日、わたしの携帯に知らない番号からの電話が鳴るので、すこしいぶかしげに「はい・・・」と電話にでると相手は警察だと名乗るではないですか。
何!?車の違反はしていないし、もしかしたら身内に何かあったのかと一瞬で脳内にあれやこれやと駆け巡っている最中に警察と名乗る男性がわたしの住所や近所の自治会長さんの許可を得て電話をしているという内容をなんどか繰り返し言ってくれていたようですが、わたしの動揺がおさまるには3回はくりかえし説明してくれていたように思います。
警察の方の話しでは、わたしの部屋(マンションの)から3軒隣りの男性が孤独死で発見されたので、死亡推定時期の特定のためにみなさんにお話しをうかがっているということと、どうやらわたしの旦那さんが、おじいさんを見かけた最後の人になるようなので詳しく話を聞きたいとのことでした。
そんなこんなでマンションの住人、特におじいさんと同じ階の住人たちはテレビなどでよく耳にしていた「孤独死」がまさか自分の目の前であったことがショックで、信じられないという思いが皆個々の中で小さくザワザワするような感じでした。
もちろんわたしもショックでしたが、近所の独居で生活をしているおばあさんたちのところへ声をかけにいってみたのです。
「隣がこんなことになんて眠れなくなったりしていない?少しでもこわかったら身内の方に事情を話して電話とかできるようにしておいたらいいよ」なんてことを話しながら、自然に亡くなったおじいさんの話になりました。
すると、そのおばあさんの孫はよくおじいさんに話しかけられて懐いていたんだとか。他の部屋の方に聞いてもそこの子供に対しては気軽に話しかけては笑うこともあったそうで、子供たちは悲しんでいると言うのです。
わたしを含む近所の大人は嫌っていたから、見えていなかったおじいさんの側面が見えたようなきがしました。
そして現場検証も終わって次の日、マンションの管理会社が特殊清掃を頼むので部屋の清掃の日はベランダに洗濯物を干さないようにと注意喚起のビラがエレベーターホールに貼ってあるので、ついに特殊清掃が入って整理整頓されるんだなと思っていたら・・・。
清掃当日、仕事に行くため張り紙に書いてあった時刻より早めに部屋をでると、もう特殊清掃が始まっていたので開いているドアからおじいさんの部屋が見えてしまった上に清掃員の方と出くわしてしまいなんだか気まずい雰囲気になる。
特殊清掃というのは、このおじいさんのように孤独死などで亡くなった方の部屋を掃除しながら遺品整理をしてくれる清掃員のことなのですが、わたしが描いていたイメージ通り白いつなぎを着た清掃ルックで見たことのない道具を玄関に並べていました。
ガシャンガシャンと手際よくゴミ袋に入ったビール缶をポンポン外にだしている作業は、湯灌師の目線から見ると目の前の現実をかき消す作業のように思えたのです。
先にも書きましたが、わたしは以前湯灌師という仕事についていて、亡くなった故人をお風呂にいれて、化粧をし、納棺するということを250人以上行ってきました。
その湯灌では故人の部屋にあるものは、故人の歴史そのものであると感じています。
壁にかかっている冬物のジャンパーや積み上げられた新聞を見て、「ああ、最近まで新聞を読んでいたり、春物をだしそびれて少し暑いなと考えていたんだろうか」など故人の顔に重ねて生活を想像しながら、魂の送りの準備を整えます。
つまり湯灌では、故人の遺品は過去の歴史だけでなくあの世への通り道のような存在であると、わたしは思っています。
なぜそう思うかを口ではうまく説明できないのですが、きっと作業するときにご遺体がそこにあるから「通り道」であり「送る」のだと感じるのでしょう。
では特殊作業では、故人の部屋にある残しておかなきゃいけない遺品や捨てる物を分けたり、ご遺体の状態によっては汚れてしまった部分の貼り付けタイプの床カーペットなどもはがして消毒・脱臭を行っていきます。
作業員は遺品の仕分けの時に故人の生前はどんな方だったんだろうと想像するようです。(漫画や特殊清掃員のインタビュー記事を読んで)想像はするけれど、部屋を元のようにきれいにしなければいけない彼らにとって、ご遺族に渡すもの以外の遺品は消し去るものであって、故人の旅立ちに関わるものでもそういう作業でもないということです。
こんな風に「孤独死」の現場を湯灌師と特殊清掃員の立場から考えてみると、魂を送る現場と、この世に現状を戻す現場という違いがある気がしました。
死に縁遠くなっている現代で、湯灌師と特殊清掃員という死に近い仕事が増えてきている現状をみなさんはどうとらえるんでしょうね。
がん家族セラピスト
酒井たえこ
そんなことは言わないけど、患者が今日話して大丈夫だったことが、明日は不機嫌になることがあり、どうしていいかわからない。
これに私は「気にしないように」と答えています。
相談者さんにしてみれば腰砕けな答えかもしれません。
もっと劇的な声掛けのタイミングがあるのかと期待していたのに「気にしないように」とは。。。
どうしてこのような答えになるかという理由があります。
患者は、体調や気持ちの変化が大きくあるのが普通です。いこれだけじゃなく、医師とのやりとりで疲れている日もあるようですし、私たち家族にわからないように病気のことを調べていて落ち込んでいる時なのかも知れません。
このように家族がわからない変化が患者にはあるのですから、家族は気にしていたら声かけ(話し)が出来なくなっちゃうんですよね。
家族は言葉を選んでいるのなら、それで良いし、気にして喋れなくなる方がダメだと思います。
家族のコミュニケーションが治療でも過ごし方でも、大切なんだということを念頭において気にしないようにできたらいいですね。
とは言え、患者に良かれ・励まそうと思って話したのに不機嫌になられると、家族は傷つきますよ。
そんな時はお友達に(さしすせそ参考:さとう)聞いてもらうとかなり落ちつきます。
無理な我慢は長続きしないので、イライラが少し溜まったら「さとう」さんにグチを聞いてもらうことが私たち「がん家族」が気を付けたい患者への声掛けの本質ではないでしょうか。
がん家族セラピスト
酒井たえこ
がん患者さんの看病をしている人のサポート協会HP
https://gankanbyou.jimdo.com
著書「がん患者の家族を救う55のQ&A」HP
]]>私が小学生のころに作ってくれた父の料理は、笑える思い出であり、父の苦悩の現れでした。
父の料理
その1、マヨネーズシチュー
その2、肉じゃが
マヨネーズシチューはダントツ1位の思い出料理です。当時、まだ料理が慣れていない父は小さい子供になんとか食事をさせないといけないという思いで、シチューを作ってくれたのです。
もちろん、私はシチューは大好きですから大喜びでお皿の中にスプーンをいれながら「おとうさん、おいしそう!ありがとう」と口に入れた瞬間ゲッ!!
「おとうさん、、、すっぱいよコレ」
なんと、父が作ったシチューは白くすっぱい液体だったんです。
父は笑ながら「やっぱりあかんかったか」と説明してくれたのが、シチューは白いからてっきりマヨネーズが決めてなんだと思い、マヨネーズ汁でジャガイモを煮込んだらしいのです。
これには笑うしかありません。私の想像を越えるシチューを作ってしまった父はこの後2度とシチューを作りませんでした。
しかし父はめげることなく、次の日も食事を作ってくれました。
次の日は肉じゃがです。
安心してください。父は元々肉じゃがが大好物だったので、少し汁ぽいですが美味しい肉じゃがを作ってくれ大満足で父に「おいしいから明日も肉じゃが作ってね」と満面の笑みでお願いをしたのです。
次の日、食卓には約束どおり肉じゃががありました。
うれしくって、おかわりまでしたので、お鍋いっぱいだった肉じゃがは空っぽになり、父もニコニコしながら「たえこ、いっぱい食べたなー」と誉めてくれました。
そして、次の日の夕食に食卓を見ると、新たに作られた鍋いっぱいの肉じゃがが湯気をたてて私をまっています。
その次の日も、また次の日も
食卓では肉じゃががデーンと陣取っているのです。
肉じゃがの臭いだけでもウェップとなりそうなほど、飽きてしまっていたのですが子供心ながら、病気の母の代わりに一生懸命に作ってくれているのに、もう肉じゃがは嫌だとは言えません。
そこで考えたのが、お手紙に書いて肉じゃがをやめてもらおうという作戦でした。
「今日は肉じゃがはやめてください。」
父が仕事に行く朝に見てもらえるように、手紙をテーブルに置いておきました。
その手紙の晩、父は天王寺にある百貨店でコロッケを沢山買ってきてくれたのです。
コロッケが食卓にあるのを見つけた私は「コロッケだーいすき」と大喜びし、その姿を見ながら父がこういったのです「悪かったなあ、同じおかずばっかりじゃ飽きるよな、明日は違うものを作ってやるからな」
私の小学校の頃の父食事の思いでは、この二つなんですが、この後数年後父と私とで食事を担当しなければいけなくなった時に、父がぼそりと「スーパーでな、何を買っていいかわからへんねん」というので買い物は一緒に行くことが度々ありました。
今私は40歳を越え、家族のために食事を用意しますがスーパーへ行くと耳元で「何を買っていいかわからへん」という父の声が思い出されることがあります。
看病家族が男性で、家事を担う立場になったとき、私の父のように四苦八苦するのではないでしょうか。食事の用意は基本毎日です。
しかも食事は買い物に始まり、したごしらえ、料理、片付けまでの4段階をクリアーしないといけない大変な作業です。
こんなに大変なのに、毎日同じくらい看病と仕事がついて回るなんて、倒れてしまんじゃないかと心配になりますね。
男性が家事を担う状況になったら、すぐ手抜き術を覚えてください。
食事のクオルティーを半分に押さえ、とにかく毎日食べられる環境作りを徹底し、まわりの女性陣は手抜きの方法をレクチャーしてくれるとおお助かりです。
手抜き例
・食事はタンパク質・ビタミンだけに注目した食材選び(魚・肉・豆)(野菜・くだもの)をする
・カットされた食材を購入(肉・魚・野菜)
・レトルト調味料を使う
・ポンと出すだけ食材を取り入れる(豆腐・なっとう・もずく・かまぼこ・玉子とうふ)
・冷凍食品に頼る
・お総菜に頼る
・宅配食材に頼る
・紙皿を使う
・ワンプレートに盛り付ける
・アルミホイルに盛り付ける
様々なところで、看病をしながら家事を担っている男性を見かけることが増えましたが彼らの悩みは初めこそは、病療養中の妻の治療方針ですが日がたつにつれ、家事と仕事の両立のしんどさを悩みだす方がほとんどです。
しかも揃って口にすることが、完璧な家事と看病の内容です。
妻がやっていたような食事を作らなきゃいけない、がんばろう!
妻も治療を頑張っているんだから、自分も頑張ろう!
こんなこと、つづくわけがないのです。
そう思いますよね。
他人の立場で考えると無理だとわかることが、当事者になるとどれもこれもガムシャラに頑張らなければ病気に負けた気がする、
私も看病をしていた時はそうでした。
しかし、看病と生活は続くものです。この生活が倒れてしまっては看病どころではなくなり本末転倒ということは想像がつくこととおもいます。
では、本末転倒にならないためにはどうすればいいか「冷静になる」ことがキモだと考えます。
冷静に今自分にできることと、できる範囲を自覚をして動くことが看病と生活を保つコツではないでしょうか。
かって私の父が看病と家事を担ってくれたという思いでがあるからこそ、今看病をしている男性たちにお伝えたいエピソードでした。
がん家族セラピスト
酒井たえこ